生き残れる、かな?
2013-01-15 02:42:47NEW !
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統一教から、家庭連合に名称変更になるという発表があり、家庭連合から統一教へと逆戻りさせてきた、この3年の流れがおかしなものだった事が、教会員の目に明らかになりつつあります。



文顕進理事長は、ずっと昔から、この「統一教へと逆戻り」の間違いを指摘してきていましたから、「やっぱり」と思っている人達もかなり多いでしょう。



2008年3月にの文顕進理事長は、文先生に捧げた手紙で以下のように言われています。参考までに。



「家庭連合が、少しずつ既成教会の姿に変わっていくにつれて、家庭連合の摂理的使命に焦点を合わせることができずにいます。家庭連合は、宗教圏を超越し、家庭を中心とする人間社会の全ての分野に至る、より包括的な運動という方向に進んで行かなければなりませんでした。しかし、残念ながら、このようなお父様の本然の期待とは裏腹に、既成教会が失敗した方法と構造を、意識的に模倣する愚を犯すようになりました。繰り返して述べると、神様の夢を実現するという摂理的運動ではない「信徒を牧会すること」に焦点を置いた一つの教団になってしまいました。」



2013年の時点で見ると、「信徒を牧会すること」に焦点を置いた一つの教団、というのも、ちょっと昔の事になりつつあるかもしれません。



それは、今ではちょっと高尚すぎる呼び方で、もっと別のものに変質しつつある、と思われます。



名前の問題ではありません。中身の問題です。カインの位置にあった教会員達の持ち込んだ、汚れた文化の問題です。アベルの子女を殺そうとしたカインの子女の問題です。



信徒を集めた教団になることによって、お金と権力のピラミッドができてしまったのです。そのお金と権力のピラミッドが、カインの子女が持ち込んだ腐敗した文化が栄える事ができる温床となりました。



「自分中心」の文化が栄えてしまいました。



信仰も、自分が救われるための信仰になってしまっていませんか?もしそうなら、アベルの子女を「殺した」カインのの子女の餌食になるかもしれません。



今回の聖酒と恩赦式も、信徒としての「生き残り」の望み、になっていませんか?本来は、基元節は、そのような「生き残り」の場ではありませんでした。



「生きんとする者は死す。死なんとする者は生きる。」のではありませんか?   


引用:パシセラのブログ

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