失敗をうやむやにする体制(からくり、しくみ)と要因
人間の責任分担における行為の結果が望ましくない、期待したものでなかった場合(失敗した場合)についてその当事者を責め立てることはあまり意味がないことは、理屈としては理解されるでしょう。
 
しかし、自分が教会責任者(幹部)として、摂理やみ旨の失敗が組織内での身分や位置に影響を及ぼすと考えたとき、失敗について、とやかく言われることを恐れて、口をつぐんで明らかにしないことは当然あると思います。
 
真のお父様にも、失敗は率直に報告はしないでしょう。また、当然のこととして教会組織の下部メンバーにも伝えないことでしょう。
 
堕落社会のあらゆる組織においては、自分が悪い、非は自分であるとするのは自殺行為に等しいのです。UC内部においても組織上層部における摂理やみ旨の失敗は隠されることが常套化されてきたと考えられます。
 
これは、基本的には堕落社会と同じ心理が上層部にも働き続けてきたからです。
 
したがって、摂理やみ旨の失敗の原因、要因を正確にとらえることは、末端信者には非常に難しいのが実情です。しかし、このような失敗をうやむやにする体制(しくみ、からくり)がUCにもあったことが、徐々に明らかになってきました。
 
同じ過ち、失敗が繰り返えされるというのも、このしくみ、からくりがあったからです。もちろん、個々人の自己中心的動機(堕落性)が本質的な要因ではあることは言うまでもありません。
 
原因究明を優先させる
真のお父様自身は、失敗が許されない立場(完成期のアダム)でおられましたので、失敗したとは最後までおっしゃいません。むしろ、神様を慰め、シックを鼓舞し、心情的側面からも希望を持たせ、激励し、最悪な状況も勝利しながら、すべて成したとされてきました。
 
しかし、最近は組織内の矛盾が一定限度を超えたため、内部告発が盛んになってきました。中にはデマや嘘もあるでしょうが、この勇気ある行為(内部告発)は、今後も続くことでしょう。
 
内部告発された方々の勇気とモラルの高さには敬意を表するものです。
 
私は、UC組織の内部告発は神様からの励ましと考えています。
 
真のお父様が聖和された後、失敗という現実、事実はあるのですから、今後の的確な対策、対応が人類や子孫のためにも必要です。もちろん、真のお父様やご子女様、教会責任者、幹部に責任を追及する必要はありません。(ただし、個人的な公金問題、不正、心情蹂躙は追及すべきでしょうが)
 
今は責任追及よりも原因究明を優先させて、摂理とみ旨を勝利することが肝心です。
お互いに、選民どうしの間で相手を責め立てて、「絶対に許せない」とするのは得策ではありません。
 
 
非難(批判)する人、そうでない人との違い
現在UCは、真のご家庭内で、ご子女様どうしが分裂状態ということが決定的になりました。 
お父様が終わりの日には7年の艱難があるとおっしゃいました。

7年の艱難の時期は、大変苦しい時です。目の前の現実的な問題にひっかかってしまい、信仰を失う人が出てくることを心配するシックも多いようです。

「UCは卒業した」と言って、去っていく人たちもおられるようです。
UCを卒業することは信仰を失うととらえるのは早計です。宗教という個人救済レベルはいずれ「卒業しなければならないからです。

このような中で、顕進様を支持する方々や、分派に流れていった人々に対して、「誰かを批判している」「批判的な視点を常にもっている」とUC内ではよく耳にします。
 
しかし、このように話される方達も、「彼らは、我々UCを批判している」と言いながら、実は同じように相手を非難しているに過ぎないのです。
 
非難(批判)する人、そうでない人との違いはどこにあるのでしょうか。
 
■ 目指すゴールが見えている人、そしてそのゴールに向けて努力する人。
このような方々は、現実の問題、課題が提示されると、非難や批判と捉えません。ゴールに向かうための貴重な意見と考えます。
 
■ 一方、現実を直視できない、あるいは事実としての失敗や不具合を認めようとしないしない人。
このような方は、問題、課題提起を現状への非難、批判、不満、不平ととらえます。
端的に言うと課題点、問題点を直視できない、ゴールに向けて努力しない無責任な立場に立つ方達です。
 
真のお父様が聖和された後の現実の課題、問題
今、ゴールに向けて、真のお父様が聖和された後の現実の課題、問題は何でしょうか。
それはシックの誰もが「メシアと私の関係性」にあると思っていることでしょう。
 
つまり、「メシアと私はどのような関係なのか」ということです。真のお父様の聖和以降、このことを考えないシックはいないでしょう。

あるシックはこのように話しています。
「信仰的に重要な点は、お父様と私の関係が、どのような関係であるかを明確に知ることです。
父子関係が信仰の要です。」
 
一見妥当な意見、考えのようにも思えます。
しかし、実はここに、UCのおおきな課題、問題があることに、この兄弟姉妹は気がついていません。
 
結論から言うならば、父子の関係は、信仰的にとらえることができる、信ずる心の世界ではないということです。むしろ、信仰を超えた、信じる必要のない、事実の世界です。すなわち実感をともなうリアルな心の世界なのです。
 
父子関係を信仰という観点でとらえてしまうこと自体に問題があり、宗教の限界なのです。
 
またあるシックはこのようにも話しています。
「お父様の功績は、神様を『真の父母』という概念で示したことです。手に届かなかった神様を、ごく身近な存在として、人間がいつでも触ることのできる存在まで開放してさしあげたことです。」

これも一見、至極当然、妥当な意見に思われます。しかし、やはり根本的問題があります。
すなわち、『真の父母』という概念は示すことができましたが、実体は残せなかったのです。真のお父様個人は勝利基準を立てられましたが、家庭、氏族、国家の基盤、天国基準は残せずに霊界に行かれたのです。
 
真の家庭が分裂状態という現実がサタンの侵入を受けているという事実を明確に示しているからです。
人類がいつでも一緒に暮らせることのできる神様の家庭、国ができなかったことが問題・課題と言えるのです。
 
(注;実際にはできる可能性の途上にあるのですがその道が各祝福家庭に見えていないのが課題です)
 


引用:モラロリア・ダムのブログ

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