最近、礼拝に参加して聖歌を歌っていた時のことだ。個人的には知らない多くの食口の姿を見ながら、「この一人ひとりのために、お父様はどれほど涙を流してこられただろうか」という思いがよぎり、お父様の祈られる姿を想像した瞬間だった。


 何か霊的な大きな波動が脳天から一気に電気が貫いてくるかのように感じたあと、それと震えるように共鳴し涙があふれてやまなかったのだ。「一人ひとりのために多くの涙を流してきたのでは」という問いにお父様が直接答えてくださったのだと思う。


 孤児のようにさまよい、サタンにどっぷり浸かって、神様がまったくわからない私たち日本人のために、お父様がどれほど難しい道を行かれただろうか。


 例えば、自叙伝には、キリスト教がお父様を受け入れなかった後、1歳にも満たない聖進様と妻を置いて北に伝道に行かなければならなかったことが紹介されている。神様の命令にしたがってすぐに行かなければならず、妻に事情を説明することもできなかった。復帰の道を早く開き、堕落人間を救いたいという深い愛、そうすることによって神様の心情を早く解放して差し上げたいという心からそうされたのだった。


 しかし、この世の常識だけの目で見れば非情でさえある復帰摂理の道を行くお父様に従って行かれるお母様の道がどれほどつらいものであっただろうか。子女たる私たちのできない分、背信した分の蕩減が明らかにご自分の子女にまわってきて次々と犠牲になっていくのを目前にしながらひたすら耐えてこられたのである。もし私たちの家庭でこんなことが起きて感謝できると自信をもって言える人は一人もいないであろう。


 だから、お母様の偉大さ、尊厳性はまったく揺らぐことはない。お母様を敬愛する気持ちに変わるところはない。ただ、メシヤであるお父様を中心にみ旨を成し遂げるという点で、ご聖和後に出されている「お母様の方針」なるものに、ただ何も考えずに従うことには大きな問題がある。このまま盲従を続ければ、み旨成就を遅らせ、さらにお母様を苦しめることになるであろうと懸念されるからである。


 多くの方が感じられ始めていることだろうが、たとえば、一部ブログ(gildongのブログ)で詳しく紹介されている天聖経増補版問題。作家の残した作品でも、死後、その作家の意志と無関係に改ざんされたものは価値を失うことが常識であるし、ご生前のお父様が一切、手をつけてはいけないとおっしゃっていたのだから、韓国の先輩から強い疑問の声があがるのは当然のことだ。この先輩家庭はお母様に手紙を差し上げ、「オリジナル天聖経をそのままにして、2000年以降のみ言は後続編として出版すること」を進言しておられたが、結局、韓国語増補版が出版されてしまっている。


 多くの箇所が「滑らかな文章」に変えられ、「お父様の呼吸や香りがほとんど除去されている」という。前回、「心情蹂躙」について書いたが、お父様が「遺言」とまで言われたみ言を改ざんすることはお父様に対する信じられないほど酷い心情蹂躙であろう。


 お父様のご聖和1周年を前にしてこんなことをしていて、韓日の統一教会リーダーは、お父様のお写真をまっすぐに見ることができるのだろうか。お父様の真意がなんであるか知りながら、増補版出版を反対を押し切って進めたのは何か不純な動機があるからではないのか。過去に何度も赦していただいたにもかかわらず、ボロボロになって逝かれたお父様にいつまで苦痛を負わせるつもりなのか。


 お父様が血の一滴までまでも捧げる愛を受けた子女の責任として悔い改め、すでに出版された韓国語増補版は回収し、日本語版の出版はいち早く中止すべきである。


 一方、宣教師の対象国が40カ国に絞られ、多くの国の宣教師を解散させた「方針」も重大な問題である。お父様からその代で使命を達成できなかったら子どもや孫にまで継がせて宣教の使命を全うするよう願われ、その覚悟で取り組んできた多くの宣教師にとって、この方針は信じがたいものであった。 


 すでに実行に移されてしまっているが、多くの心ある食口はなぜこのような方針が出たのか疑問を持っている。世界すべての国に対する宣教がお父様の一貫した願いであるからだ。それは、お父様にとって最後の大会となった「アベル女性UN創設大会」(2012年7月16日)で193カ国の宣教師らを集められて、「新しい価値観を果敢に迎えなさい」と語られているのを見ればよくわかる。お父様は「新しい価値観」をすべての国に伝えてほしかったのだろう。


 キリスト教の歴史をみても、イエス様が十字架につけられた後、弟子たちが悔い改め、復活して世界伝道に出て行っている。そうした命がけの歩みがあって、キリスト教の現在の世界的基盤があるのである。


 キリスト教の歴史と再臨の摂理に同時性があるという観点から見ても、真逆の流れになってしまっている。どうしてこうなっているのか?


 筆者の見方は一貫している。「真の悔い改めと復活」がないからであろう。ただ、漠然と私たちが足りないからお父様を十字架につけてしまったと言って涙を流すだけでは悔い改めにはならない。


 やはり、よく知っていなければ本当の悔い改めはできないのではないか。これまでに書いたように、お父様が生死の絶頂で私たちに悟ってほしかったことは何かをご生前のみ言を読みながら深刻に求めるべきではないのか。


 先回、紹介したみ言でもわかるように、お父様が私たちにまず悟ってほしかったのは「お父様が直接的に指示できない責任分担があり、それを私たちが成していない」ということではないだろうか。


 基元節以降、献金などで精誠を尽くしたと主張しても、お父様が願った核心部分と関係ない限り、お父様と共に住むことはできないだろう。


 お父様と「私」の距離を埋めるであろう「責任分担」とは何か、1周年を前にして祈り求めるべきではないのか?み言を探し回るべきではないのか?


 その答えを得るためのカギは、お父様のご生前の生のみ言、表情、一挙手一投足まですべてでである。幹部を叱責されたり、お母様、子女様に対して も厳しく言われていることはすべて意味があることであって決して削除すべきではない。


 お父様のみ言の中から「私たちに成してほしいこと」を悟り、見つけだすことが願われているのではないか。だから、ご聖和1周年に向けては、少なくともここ2年くらいの訓読会の映像を全食口に公開すべきだろう。


 すでにあるピースTVなどの資料を整備して、日本語の正確な字幕をつけ、ID、パスワードを入れることによって求める食口皆が見ることができるようにすべきであると提案したい。お父様は多くの場面でヒントを下さっているであろうからである。


 お父様はお母様と一体となって、神様の立場から私たちのために完全投入された。原理講論でみ旨成就には神様の責任分担と人間の責任分担が必要と書かれているように、天国のカギは私たちにあずけられているのではないか。そのカギを見つけ、開けることがお母様を本当の意味で支え、解放する道ではないだろうか。
 



引用
お父様のみ言に照らして追求したい


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