この前…
ある食口に会いました。
ずっと教会には行ってなかったので、本当に久しぶりに会いました。

協会と顕進様との葛藤についての話題がでました。

私は、その食口の口から出た言葉に一瞬、耳を疑いました。

「顕進様が犠牲になれば、食口は一つになれるわ…」というのです。

「顕進様が犠牲?になれば?」聞き返しました。

「きっと、皆、感動するわよ…」

“犠牲”という言葉を美化しすぎてはいませんか?
真の家庭、真の子女様は犠牲になるべきもの…なのでしょうか?
私は真の家庭とは、そんなんじゃないと思います。

為に生きる…
今の統一食口は、自分が為に生きようとするよりも、為に生きて欲しい…と望む人が多いようです。愛する事よりも愛される事を望む食口が多くなってしまった今の教会を考えると、未来に希望を感じることができません。

いつだったでしょうか…
集会の時だったか、訓読会の時だったか…
真の愛…これが本当に難しいんだよ…と顕進様が語られた事を思い出しました。

いったい、いつから、こんなにもおかしくなってしまったのでしょうか?
本当に、みんな、どうかしてます。
初めて教会を訪ねた時は、こんなんじゃなかったと思うのですが…
どうしたら、神様の前に純粋だった頃の昔の姿にもどれるのでしょうか?




引用:在韓日本祝福家庭婦人会

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