西山は、東京に着いた。東京の発展は目覚しかった。その年は皇太子様の御成婚があり、1964年の東京オリンピックが決定し、そしてその前年には東京タワーが完成したのだ。
西山は、東京タワーを見上げ‘俺が神のみ言を伝える東京タワーになる’と決意を新たにするのだった。
先ずは、教会を訪問したが、ほとんどが話しを聞いてもらう事も出来なかった。中には牧師とは思えないような罵詈雑言を言って追い出す牧師もいた。
それでも、西山は諦めず様々な所で沢山の人に声をかけた。
ある時、早稲田大学で学生に声をかけていた。すると、教授らしき人物が西山に近づいてきた。
「君、何をしてるの?」
「はい、私は西山と申します。韓国から来た新しいキリスト教の教えを広める伝道師をしています。」
「どうだね。話しを聞く人はいたかね」
「いえ、中々難しいです。」
西山は追い出されると思ったが、その紳士は西山に親身に接してくれた。
「そうだ、ここの卒業生で韓国人の男が高田馬場で時計屋をやっている。」
その人は名刺を西山に差し出した。
「私の紹介と言えば、話しを聞くかも知れないから行ってみなさい。」
と言ってくれた。西山は簡単に場所を説明してもらい、お礼を言ってその時計屋を目指した。
有形社という時計屋で清川という青年に会った。まずは自己紹介をし、そして名刺を見せると、話しを聞いてくれた。彼はクリスチャンだったのだ。
西山の話しに興味を持った清川は、西山を雇ってくれる事になり、2階を伝道所として貸してくれたのだった。
そして西山は、時計のセールスの傍ら、熱心に伝道活動をしたのだった。
1959年10月2日、西山と清川、2人の婦人の4人で初めて「義と神の国を求めよ」という題目で礼拝を行った。西山はこの日を宣教記念日とし、日本に神の恩恵が来る為に自らを捧げる決意をするのだった。
最初の半年は牛歩のような歩みであった。中々、人が増えていかない。西山は働きながらも、何とか時間を作って伝道に勤しんだ。
やがて一人の青年が復帰される。彼は小宮といい、当時日本でも最大クラスの仏教系の新興宗教「立成会」の青年部長をしている男だった。
彼は真理の道を探求しており、仏教だけでなく神道やキリスト教にいたるまで勉強していた。西山が初めて原理講義をした時、小宮は涙を流しながら
「求めていた真理にようやく出会いました。」
と言った。
小宮は精力的に活動し、実質、西山の片腕として働いた。
ある日、小宮が言った。
「先生。今度、凄い男を連れて来ますよ。」
「小宮くんより、凄い男なんかいるのかね。」
「僕よりも何百倍も凄い男ですよ。期待していて下さい。」
そう言って数日後、一人の青年を連れて来た。
西山は、黒縁眼鏡のその青年を見た時、不思議な感覚を持った。
普段、自分は論理的な人間だと自負していたが、その青年を見た時、何故か大きな獅子に見えたのである。
それが、西山と久保の最初の出会いであった。
引用:小説 もう一つの自叙伝
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