久保の葬儀には700人以上の人が集まり、全国にはそれ以上の人が久保の冥福を祈っただろう。
渋谷の本部教会の前には、建物に入れない人たちが溢れていた。

西山は、その光景を見て如何に久保が兄弟姉妹から愛されていたかを知った。

西山は一般の参列者に混ざって教会の中に入ると、静かな衝撃が場を包んだ。
中には、西山を知っている人間が多数いたのだ。
何故、今更来たんだと変な目で見る者、昔を思い出したのか泣きながら懐かしい目で見る者など反応は様々だった。

献花をし手を合わせて祈った後、足早に立ち去ろうとした。すると入口付近で

「先生!」

と呼ばれ振り向くと、皆んなから‘せっちゃん’と呼ばれていた女性が近づいて来た。

「先生、大変ご無沙汰して申し訳ありませんでした。」

と深々お辞儀をしたのだった。

「こちらこそ、放ったらかしにして申し訳なかった。」

「先生がお越しになられて、久保さんも本当に喜んでいると思います。」

そう言って、ハンカチで目頭を押さえた。

「あなたも元気に過ごして下さい。」

「先生も、いつまでもお元気でいて下さいね。」

そう言って別れた。

西山は教会に入って見て、自分が部外者だと改めて実感した。
一部には、自分を今でも慕ってくれる人もいるが、大半は冷ややかだった。

西山の胸には久保との約束がしこりのように残っていたが、それを実現するチャンスを数年の間、見出す事は出来なかった。

しかし、それは突然訪れた。

日本宣教50周年記念という式典を、都内のホテルでやるので、特別ゲストとして参加して欲しいという要請が、教会の方から正式に来たのである。

本来ならば、既に教会を去った西山が行く筋合いではないのだが、西山はこれは久保の意思ではないかと感じ、参加する事にしたのだ。

当日、日本を代表する食口1200名が集められ、中には見知った人もいたが、ほとんどの人は西山が知らない人達だった。

司会者からは、西山にも10分間演説して欲しいと要請があった。
西山は、何を話すか全く考えず、その場に立った時に浮かんで来る言葉を話そうとしていた。

そして、西山の名が呼ばれ盛大な拍手の中、壇上に立った。

壇上にはライトが当たり眩しくもあったが、西山は一つ息を吐き出すと静かに語り始めた。




引用:小説 もう一つの自叙伝

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