振り返ってみればやはり「神様についてきた」人生であったと思います。ただ、神様が目に見えたり神様の声が耳に聞こえたりしたわけではありません。心(おそらく「良心」)の命じるままにいろいろな選択を重ねつつ今を迎えるようになりました。

教会の活動や真の家庭について様々な騒音を聞く時にも、「必ずいつか真実は明らかになる」と自分に言い聞かせながら敢えて深く追求するという選択をせずに、前を向いて歩んできたつもりでしたが、ある時期を契機としてそのような生き方がきわめて非現実的であり、また無責任であるという理解をするようになりました。

今から思えば、それが「僕」のような信仰をしていてもよかった時代から「実子」としての信仰をすべき時代への変わり目に起こったことだったのではないかと思います。

「僕」として歩んだ時期をも否定するわけではありません。それはそれでその時には神様がそのように導いていたのだろうと思います。しかし同じ神様が、今はそのような生き方ではなく「実子」としての生き方をせよと導いているので、そのように生きようとしはじめたら、今いるところに来てしまったという感です。

人それぞれ環境や立場は違いますが、同じ神様が一つの方向に向かって導いておられることを信じます。今の時代は「実子」として生きようとする人、言い方を変えれば「神様のみ旨を自分のみ旨としてオーナーシップをとっていく人」を用いながら神様が歴史を引っ張っていく時を迎えていると思います。

「この方は真の何とかという立場の方であるから一切疑わず絶対的に従って行こう」という生き方を神様は私に願っておられず、むしろ、もしも真の愛を実践しておられる「方」がいると理解したならば、その「方」をモデルとして自分も真の愛を実践することを願われ、もしも神様のみ旨に対しオーナーシップを持って歩んでいると思われる「方」を見出したなら、その「方」をモデルとして自分も神様のみ旨に対しオーナーシップを持って歩んで行くようになることを神様は願っておられるように思われます。

ですので、「彼は真の何とかという立場の方の命令に従順でないから『サタン』であり、どんな立派なことをやっていても全て無効である。真の何とかという立場の方に従順に従っている私のほうが彼よりも立派で、正しい」というような見方考え方をすることを神様は私に願っておられません。

そのような説法を駆使しながら真の父母様と長子の間を人為的に引き裂こうとしてきた人々は自分のやってきたことをよく理解していることでしょう。しかし、その人々の意図に気がつかずその人々の説法を盲目的に受け入れることにより、結果として親子を分断させるのに貢献してしまった人々はどうでしょうか。「そんなの知らなかった」とすませることができるのでしょうか。

そうです、その画策は手を変え品を変えて今も変わらず継続しているのに…




引用:Kotenjiのブログ

ブログ主様ありがとうございます

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ
にほんブログ村



・・・・・・メルマガ登録は以下より・・・・・・・

普段、パソコンやスマホに触れることのない食口たち全てに教えてください携帯メールにこのメールマガジンが配信できるように、身近な婦人たちの為に、お手伝いをしてください。

以下の入力欄にあなたのメールアドレスを入れて【購読】をクリックしてください
(購読と書いてありますが完全に無料です)

アドレス:




こちらに空メールを送っても登録できます。


また、直接食口の携帯メールへ伝える場合は、
sub-3btdbzqjk3r-akb@www2.skynetdm.com
上記アドレスを直接携帯に入力し件名・本文を書かないで送信ボタンを押してください
*うまくいかないときは、件名欄・本文欄にスペースを一つ入れてやってみてください。