内村鑑三所感集から~
今日は明治39年(1906)の所感最後の部分から紹介します。その4です。

神の不偏
  教会の中にある者必ずしも神を識らず、教会の外にある者必ずしも神を非認まず。神を識る者は教会の中にあり、またその外にあり。神の教会は全宇宙なり。「ペテロロを啓きていいけるは、われまことに神は偏らざる者にしていずれの国民にても神を敬い義を行う者はその聖旨に適う者なりということを悟る」(使徒行伝十章三十四、三十五節)と。余輩もまた時に意外のところに神の忠実なる婢僕あるを見て、同じ驚愕の言を発せざるをえず。
       
神は何処におられるのか?
とかく我々は教会堂という建物や、教会という集団組織の中に神がおられると思い込みやすい。

最も大きな間違いは、自分たちの所属する教団教派の教会組織の中にだけ神がおられると考えることである。
教会という組織のや集会に参加しないようになると
「落ちおた」とか「離れた」とかいう場合があるが、これは自分たちの組織の中には神がおられるが、そこに参加しなくなったら神はおられないよ!と言うのに等しい。

内村鑑三は米国渡り米国の教会をつぶさに眺めて、教会組織に働く人々やその集会の中に神を感じるよりも、むしろ家庭や仕事の場でキリストを信じ一生懸命生きている人々の中に神の愛の実在を見たのである。

「うちの教会はこんなに素晴らしい!」「うちの教会の牧師はこんなに立派だ!」と、建物や人物を宣伝することがよくあるが、それは神の実在や神の愛とは何ら関係のない話である。教会にどんなに多くの人びとが集ったとしても、キリストの愛、神の愛がなければそれらは神の目から見たら何らの価値もないものに過ぎない。

最近教会堂が新しくなったとか設備が素晴らしいとか、たくさん人が集まっているとか、自慢する教会が多くあるが、本当に神の愛が充満している教会かどうかを一番の判断材料にしなければならないであろう。

嘆き悲しむ人々が多くあることを横目に、何ら自慢するものはないはずである。
 
我らは、神の愛がともにある個人となり、家庭を目指すものとなるべきである。 



引用:平和世界を求めて

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